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黒きサムライ(1)

  • 執筆者の写真: いまい いちろう
    いまい いちろう
  • 2020年7月9日
  • 読了時間: 2分

天正9年2月23日(1581年3月27日)、イエズス会のイタリア人宣教師ヴァリニャーノは、一人の黒人奴隷を引き連れて織田信長に謁見した。

『信長公記』には「切支丹国より、黒坊主参り候」と記述されている。黒人はポルトガル領東アフリカ(現モザンビーク)出身で、インドを経て海路日本へ連れて来られた。正確な本名は不明である。

初めて黒人を見た信長は、肌に墨を塗っているのではないかとなかなか信用しなかった。そして命じた。

「洗え。」

家臣たちが黒人奴隷の着物を脱がせて体を洗わせたところ、彼の肌は白くなるどころかより一層黒く光ったという。「牛のように黒き身体」と記されている。信長は本当に彼の肌が黒いことに納得した。黒人奴隷の年齢は26歳~27歳ほどで、「約1.82メートルの大男」、「十人力の剛力」であり、日本語も話せたことにも大いに関心を示し、

「こいつ、くれ。」

ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらった。

信長はその黒人奴隷を『弥助(やすけ)』と名付けて正式な武士の身分に取り立て、身近に置くことにしたと、イエズス会日本年報にある。また、この黒人・弥助が私宅と腰刀を与えられ、時には道具持ちをしていたという記述がある。信長は弥助を気に入って、ゆくゆくは殿(城主、家来持ちの主)にしようとしていたという。

日本初の『黒きサムライ』が誕生した。そして、奴隷は奴隷ではなくなった。

天下人に気に入られた黒人。どうなる弥助?!

次回、黒きサムライ(2)に続く。

 
 
 

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