碧眼のサムライ
- いまい いちろう
- 2020年7月27日
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東京駅八重洲口。その地名の由来が江戸時代に日本で活躍したオランダ人「ヤン・ヨーステン」にあることをご存じでしょうか。フルネームは、ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン。
ヤン・ヨーステン(Jan Joosten van Lodensteyn)はオランダ人の貿易家です。慶長5年(1600)4月にオランダの商船『リーフデ号』に乗って、ウイリアム・アダムスらと共に、豊後の臼杵(大分県)に漂着しました。この漂着をリーフデ号事件といいます。
船に乗っていた船員の対処に当ったのが徳川家康でした。家康は牢に入れていたヨーステンらと大坂城で面会し尋問をします。ヨーステンがウイリアム・アダムスと共に、「オランダは日本と純粋に貿易だけをしたい」と説得すると家康は大いに納得しました。更には熱弁に心を動かされたのか、家康は二人を江戸に呼び、家来として朱印状を与え貿易関係の仕事を任せることにしました。
碧眼のサムライが誕生した。
徳川家康から江戸に屋敷と、ヨーステンは『耶楊子(やようす)』、アダムスは『三浦按針』という日本名まで与えられたのです。ちなみにふたりとも日本人女性と結婚し、子供も産まれました。ヨーステンは日本とオランダの貿易発展に尽力しました。オランダ東インド会社の日本貿易開始以後は平戸商館に協力しました。手広く貿易に携わるも、コーチシナから日本へ帰る途中で船が難破して死亡。
ヨーステンに与えられた屋敷の場所を彼の日本人名『耶楊子(やようす)』と呼び、いつしか訛って?『八代洲(やよす)河岸』と呼ぶようになりました。その後、「八代洲(やよす)」が「八重洲(やえす)」となり、明治5年(1872)に町名になったのです。
耶楊子 → 八代洲 →八重洲
碧眼(へきがん):青系統の目のこと。または西洋人を意味する。
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